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No.507 生き残ることの意味 その2

エッセイ「多摩川べりから」
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 キリスト教保育連盟の保育部会研修会に出席した時に、数人が現場の報告をしてくれた。いわゆる保育園、幼児園、認定こども園の報告だ。
 それを聞いていて思った。福祉法人は様々な「指定管理業者」として公の施設(高齢者施設、障害者施設、保育所、児童館、保養所、福祉作業所)を管理・運営する。多くの場合、各地方公共団体が定める条例に従って指定管理者候補の団体を選定し、施設を所有する地方公共団体の議会の決議を経て管理運営の委任をすることになる。
 実績を積むことで候補となるチャンスが増し、結果的に多くの管理を委ねられることになる。独占とまではいかなくとも、地域で有力な団体となるわけだ。もちろん指定期間の満了後も同じ団体が管理者として継続して指定を受けられる保証はない。リスクも高い。
 良い法人が生き残るのだ、悪いことはないだろうとも思う。ここからはわたし自身の好みの問題だから普遍化や絶対化はできないのだが、このようにして成長することには個人的にどうしても馴染めない。
 第一に、わたしはどうしても行政をはじめとする「公」と称するものに同化できない。敵対はしないまでも、責任を果たすまでがリミットで、それ以上深入りしたり、仲良くやる意志はない。
 第二に、地域で大きくなるということはその分誰かが小さくさせられるということだ。独占や寡占はたとえ「生き残る」ということが至上命題だとしても、心理的に馴染めない。
 むしろ、教会の(キリスト教主義の)施設ならば、小さくされた者、捨て置かれたいのちに目を留めるだろうというのが──たとえ武士の高楊枝だと揶揄られても──矜恃ではないか。
 小さい者たちが寄り合って生きていく道を本気で探してみたいのだ。
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