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No.510 年またぎに考えたあれこれ

 年が暮れ、年が明ける。
 晦(つごもり)とは、月が隠れることを指す言葉だという。陰暦では15日が満月、30日が月隠れ。毎月の30日は晦(つごもり)の日。一年の最後の晦を「大晦日」と呼ぶのだ、と。
 月は人間のいのちに結構大きな影響をもたらしているのだと改めて思う。新月や満月、潮の満ち引きなど、単なる天空現象を超えて人の生活やいのちに直接月は介入している(らしい)。人間の体も大部分が水分なので、潮の満ち引き同様月の影響を受けるととなえる人もいる。確かに太陽よりは月を生活の基準にする暦の方が、暮らしに直接的な示唆を与えている気がする。
 日本には四季がハッキリしている、と良く言われ、また当然のようにそう思っている。だが、雪国生まれのわたしにとってその四季とは一年12ヶ月を4等分したものにはならない。圧倒的に冬だけが長く、その他はとても短い。或いは二十四節気。一年(正確には黄道)を二十四等分して季節を表す暦。これだと季節は二週間で巡る。さらに七十二候という暦もある。こうなると季節は5日で巡ることになる。旧暦が体のうつろいにより近く感じるどころの騒ぎではない。昔の人、或いはある地域の人は、5日毎に季節の移ろいを感じるようなからだ/感性を持っていた/いるということだ。
 異常気象と叫ばれてからずいぶんと年月が経った。2016年もたくさんの現象が起こり、異常事態であるという感覚がさらにさらに高まった。だが同時に、異常も慣れると常ごとに感じてもくる。感性とはかくも欠けやすいモノなのだな。もはや5日は言うに及ばず、15日毎の季節の変化さえ感じられなくなっている。そして旧年の季節変化は3ヶ月毎でもなかった。この先一体!?
 細やかな感覚とはこういうところで培われるのだ。だからこそ世界は保全される必要がある。今年が「自然な年」であることを何より願おう。