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No.512 Yes We Can. Yes We Did.

 バラク・オバマ大統領が任期最後のスピーチを行った。テレビのニュースでその一部が流され、新聞やネットメディアにはその演説の全文や訳文が掲載されている。8年前の就任演説もそうだった。そして彼はやはり人の心に訴え、響く言葉を持っている人だったことを改めて強烈に印象づけた。
 8年前、前途を光栄もって臨む笑顔が印象的だった彼でさえ、その風貌に陰りが見えはじめた。アメリカ合衆国大統領とはかくも重大な責任を負う文字通り激務だったのだろうと──わたしなどにはまるで想像さえできないことながら──彼の風貌の変化に接し思った。だが、最後のスピーチを語る彼は、誇らしい顔に戻っていた。
 印象的だったのは「民主主義を阻む危険は…変化への恐れという形で現れる」と語ったこと。わたしなどはいとも簡単に「民主主義はもはや先が見えてしまったのではないか」とある種絶望を口にするし、それに代わる提案ももたないくせに「終わる」とだけ口走る。だが、本当にそんなことでよいのか、よりよく持続させるために果たすべき役割が自分にもあるのではないかと、改めて思わされた。変化は常に明るい方向にだけ起こるものではない。暗闇へと間違って突き進むこともある。だが、たとえそうなったとしてもそれはわたしが役割を充分に果たさなかったことが原因(全てではないとしても)なのだ。であれば、よりよい次を目指す努力を、それぞれがそれぞれの責任で担い続けなければならない。
 理想を語ることが陳腐に見えると言われるのはなぜだ。或いは陳腐だと結論づけるその判断は何に因るのだ。未来がよりよくなることを望むことはアホらしいことなのか。「景気だ/経済だ」というが、どこまで行っても満足できない以上、それこそ未遂の夢ではないのか。
 だが、明るい未来が訪れそうもない気配だらけなのは、確かなのだ。嗚呼。