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No.514 完成感謝礼拝で思ったこと

エッセイ「多摩川べりから」
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 先日、友人(恩人?先輩?)の教会が礼拝堂を改装し、完成感謝礼拝を行った。
 この教会は創立以来、地域に溶け込み、いわゆる教会らしさを振りかざすことなく、小さくされた人たちに寄り添うような教会であることを特に大切にしてきたという。しかし、地域が日々変化する中で心のよりどころを求める人たちも少なくないことから、「ここに教会がある」ということを外に向かって告げるような建物にしたいと思うに至ったという。
 建築設計事務所の所長が挨拶に立って、この経緯をお話しくださった。「ここに教会がある」ということを教会員たちは例えば「目立つ看板を設置しよう」というような意図で語るが、そうではないだろうとこの設計士さんは仰った。彼自身改装の話しを受けて最初に教会を訪ねた時、探しながら歩いたけれども通り過ぎてしまったと笑いながら、「教会らしい佇まいの建物を設計することで、目立つ看板はなくても自ずと『ここに教会がある』と告げるものになるだろう」と、具体的に3つのキーワードを挙げてお話しになったのだ。そして見事にそれが形になった。
 その3点についてわたしとしては完全に合意は出来にくかったのだが、でも云わんとしていることは強く伝わった。そして、教会が伝道しようとか外に向かおうなどという時、全く同じことが言えるのだろうと思ったのだ。
 看板とかチラシとか教会案内とか、とかくわたしたちはモノに頼る。もちろんあったに越したことはないし、つくるならばチラシ一枚にしてもより目立つ、よりデザイン的に優れたモノをと考える。それはある意味当然だろう。
 だが、「ここに教会がある」ということの意味は、テレビショッピングのように大量に広告されればそれだけで完結するわけではない。佇まい、わたしたちに即して言えばわたしたちの眼差しが、自ずと伝えるべきかた・伝えるべきことを表していることが、何よりも求められるのだということを。
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