ようこそ、川崎教会へ

No.556 秋の夕暮れに教えられたこと

エッセイ「多摩川べりから」
元のサイトで完全版を読む
 幼稚園の園まつりは二日目に未就園の子どもたちを迎え、最終日には卒園していった小学生たちを迎え、大賑わいのうちに幕を閉じた。
 今年は丸太4本を組んだピラミッドが登場した。約2メートルの高さにステージを造り、そこに上がるためには斜めになったつるつるの丸太をよじ登らなければならない。一体どれくらいの子どもが登れるだろうかと思ったがなんと! 年中の女の子を中心にたちまちステージが占領されていった。一人が登るとその様子を観察していた者たちがコツをつかむ。方法さえわかればあとは自分の体力との勝負。午前中出来なかった子どもが午後のチャレンジでうまく登り満面の笑みで得意顔している、そんな風景が園庭に広がった。
 小学生ともなるとその辺りがずいぶんちがう。登る子はどんどん、簡単に登る。登れない子は「登れないのではなく登らないのだ」ということを、さまざまな理屈を並べて言い訳する。それだけ知恵が回ったということだろう。それもまた子どもっぽくて良いなぁ、と思って眺めていた。
 出来たからOKで出来なかったらダメ、というのはとても簡単。結果は隠しようがない。だけど、登れないという事実をどう受け止めるのか、その受け止め方のバリエーションが、見ていると実に面白い。秋の日はあっという間に落ちる。残り少ない時間を丸太登りにチャレンジし続けるのか、あるいは出来ない自分と折り合いをつけて他の遊びに回るのか。どちらの決断だって彼にとっては大事なのだ。刻々と迫り来る夕闇を前に、自分で自分に決着をつける子どもたちは頼もしく見えた。
 価値は多様で良い。そしてそれは常に自分との相談で決まるのだ。もちろん「誰かの期待」が思わぬ力になることもある。でもそれはあくまでも「も」が付いての話し。最後は自分で決着をつける。それを「生きる力」と呼ぶのだとわたしは思う。誰か他者の思いどおりになるのではない。
もっと見る