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No.137 またしても銃乱射

エッセイ「多摩川べりから」
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 またアメリカで、銃の乱射事件が起こった。一つはテキサス州の陸軍基地で、兵士ら12人が死亡、31人が負傷。一つはフロリダ州のオフィスビルで、一人が死亡、5人が負傷した。  アメリカで銃の事件が起こると、わたしは17年前に起こった日本人留学生射殺事件を思い起こす。ハロウィンのパーティに参加しようと仮装した日本人留学生と友人は、パーティ会場とは別の家を訪ね、銃を構えた住人によって留学生が射殺された事件だ。翌年、被告は12人の陪審員全員一致の無罪評決となった。  当時、アメリカと銃社会の問題が盛んに取り上げられたが、「法律を守る良き市民の銃所持の権利」が主張され続けてきた。当時でさえ、年間4万人が銃で命を失い、約20万人が負傷しているという事実があったのだが。  文化の違いといえばそれまでのことなのかもしれないが、所有の権利を守るために、所有の責任を負いきれず結果として多数の死傷者を生み出してなお、規制に踏み込まないアメリカの社会をどのように捉えたらよいのか判断に迷う。  無防備都市条例制定運動で市議会の市民委員会を傍聴した折り、委員の一人は「武器といっても、使いようによっては携帯電話でも武器になる」と訳のわからない論理を振りかざしていた。そりゃ武器にしようと思えば素手だって何だって武器ではある。だが人間はそれを理性でコントロールしてきた。それは所有する権利と、同時に発生する使用責任を、誰に教えられるまでもなく自覚してきたからだ。その人間賛歌が高じれば、銃に対しても同じ態度なのかもしれないが、でも、銃は銃でしかない。他に何も生み出しはしない。であれば一際高い使用責任なり倫理性が求められて然るべきではないか。  未然に防げる悲劇は、繰り返してはならないはずだろう。
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