ようこそ、川崎教会へ

No.141 どなたでもおいでください(?)

エッセイ「多摩川べりから」
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 この季節になるとどなたも、住所録の整備をされるのではないだろうか。  最近は年賀状もパソコンでつくられることが多くなって、住所録専用のソフトなども多数売られている。わたしもそのひとつを使って様々な住所録を管理している。この季節には教会に関係する住所録も手を入れることになる。  教会関係の住所録といえば、まず会員名簿、不在者の週報送付用名簿、新来者への案内用名簿などがある。それらを基に週報を発送したり、クリスマス礼拝の案内状をつくることになる。  新来者の名簿を眺めながら、お顔が浮かばない人が多数いることを申し訳なく思う。毎年何人かの新来者が礼拝に訪れてくださり、カードに記入してくださるが、そのうち大多数の人は継続しない。一期一会の迫力不足を痛感する。それでも案内状はお送りしているのだが、毎年そのうちの何通かは宛先不明で戻ってくる。  地方の教会では、新来者が訪問すること自体が珍しい。新来者の内の大半は旅行や身内を訪ねておいでになる、よその教会の会員だ。そうなるといわゆる“求道者”として文字通り初めて教会の門をくぐる人はごくごく稀ということになる。だから、名簿の名前を見ると顔が思い浮かぶ。今、それが出来ないということは、すなわち自分の能力の限界を思い知らされることだ。  教会では個人情報のほとんどが牧師のところに集約される。その牧師にしてこうなのであれば、たとえば受付に立つ教会員が、目の前の人が新来者なのかどうかなかなか判断つかないだろう。聖餐式の厳格化が求められているが、配餐者は目の前の人が洗礼を受けているかどうか、しっかり把握できるとでも言うのだろうか。「違法聖餐」などと言うが、その最終判断を配餐者に押しつけて問題は解決するのだろうか。  「どなたでもおいでください」を徹底するのは、本当は難しいことなのだ。
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