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No.143 街頭インタビューで考える

エッセイ「多摩川べりから」
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 中国国家副主席と天皇の会談について様々な報道があった。「高齢で病気なのだから、公務を控える配慮が必要ではないか」という街の声があったのだが、そこで考えた。  身の回りの人が高齢で、しかも病気がちであったとすれば、「仕事を減らしたら?」と意見することは出来るし、確かにひとつの配慮だろう。本人がその意見を聞き入れるかどうかは別の問題だが。もし本人の意志に関わりなく強制的に割り振られるとすれば、それはひょっとしたら人権に関わる問題かもしれない。それでも、人には辞める自由がある。割に合わないとか、無理だということであれば、辞退するとか辞任するとか引退することが出来る。  だが、「天皇」に引退はない。生きている限り、死の瞬間まで天皇なのだ。皇太子が職務を代行することは出来るが、それはあくまで代行であり、天皇が辞退するとか辞任するとか引退することはできない。  本当に天皇のことを心配するのであれば、天皇をしてそういう不自由な状態にさせ続けることをこそまず考え直さなければならないのではないか。人間としてのあらゆる権利を剥奪した上で成り立っている「象徴」天皇という存在それ自体を、このまま認めていて良いのだろうか。もっといえば、そういう存在にさせ続けている者がどうして「配慮しろ」などと言えるのか。それはあまりにも自分を知らなさすぎて、滑稽でさえある。  「街の声」などといって、テレビは盛んに街頭で一般市民の声を拾い上げる。だが、そこで挙げられる数字が真実でないことを見落としてはならない。テレビとは「まず、結論ありき」なのだ。その結論に近づくように操作する。その操作を「編集権」などと嘯く。だが決して「これは操作されたものです」などと言わない。瞞されるのもあくまで視聴者の責任なのだ。  十分に自覚した上で、物事を考える癖をつけたいものだ。
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