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No.146 変化の兆し

 「町の電気屋さんががんばっている」。ある情報番組で取り上げられていた。
 地方の町にも家電量販店が押し寄せ、商店街の電気屋さんは苦戦を強いられてきた。だが最近、その動きに異変が起きてきているという。家電製品のデジタル化・高機能化が、「電話一本ですぐ来て教えてくれる」ニーズを生み、そのニーズに応えることのできる町の電気屋さんが見直されてきているというのだ。その流れは「オール電化」や「太陽光発電」の設置などでも発揮され、説明・説得に時間のかかるこれらの対応に、長年信頼関係を築いてきた電気屋さんが用いられ、メーカーからも頼られるようになってきているという。
 この話題を取り上げたプロデューサーが「電気屋さんは何も変わっていない。変わったのは周囲の環境だ。」と話していた。確かに電気屋さんの姿勢はそんなに変化しているようには思えない。「売ってなんぼ」「売れておしまい」ではなく「売ったところから関係が始まる」という姿勢。それがデジタル家電という先端製品で起こっているからおもしろいのだろう。
 翻って、家電量販店大好きなわたしは、なぜそうなのか考えてみた。川崎に来て目の前に量販店がある状況が一番助かるのは、いつでもそこに必要なものが存在することに尽きた。遅くに出かけても、明日必要な緊急事態でも、そこに行けば必要なものが手に入る。待たなくてもよい。待たないことが進化・発展であり、大げさに言えばそれが文明だったのかもしれない。だがここに来てそれが少し変化し始めているように思える。
 国の形、国のあり方が問われている。諸説が流布する中で「政治主導」とはいうが、挙国一致への道のりは険しいだろう。誰かに頼り、その決定を待つことでは解決できない時代、自分/自分たちはどうしたいのかが問われる時代。共に生きる、生身のいのちにこだわることは、文明までをも射程とする信念──信仰──が問われているということでもあるのだろう。