「町の電気屋さんががんばっている」。ある情報番組で取り上げられていた。
地方の町にも家電量販店が押し寄せ、商店街の電気屋さんは苦戦を強いられてきた。だが最近、その動きに異変が起きてきているという。家電製品のデジタル化・高機能化が、「電話一本ですぐ来て教えてくれる」ニーズを生み、そのニーズに応えることのできる町の電気屋さんが見直されてきているというのだ。その流れは「オール電化」や「太陽光発電」の設置などでも発揮され、説明・説得に時間のかかるこれらの対応に、長年信頼関係を築いてきた電気屋さんが用いられ、メーカーからも頼られるようになってきているという。
この話題を取り上げたプロデューサーが「電気屋さんは何も変わっていない。変わったのは周囲の環境だ。」と話していた。確かに電気屋さんの姿勢はそんなに変化しているようには思えない。「売ってなんぼ」「売れておしまい」ではなく「売ったところから関係が始まる」という姿勢。それがデジタル家電という先端製品で起こっているからおもしろいのだろう。
翻って、家電量販店大好きなわたしは、なぜそうなのか考えてみた。川崎に来て目の前に量販店がある状況が一番助かるのは、いつでもそこに必要なものが存在することに尽きた。遅くに出かけても、明日必要な緊急事態でも、そこに行けば必要なものが手に入る。待たなくてもよい。待たないことが進化・発展であり、大げさに言えばそれが文明だったのかもしれない。だがここに来てそれが少し変化し始めているように思える。
国の形、国のあり方が問われている。諸説が流布する中で「政治主導」とはいうが、挙国一致への道のりは険しいだろう。誰かに頼り、その決定を待つことでは解決できない時代、自分/自分たちはどうしたいのかが問われる時代。共に生きる、生身のいのちにこだわることは、文明までをも射程とする信念──信仰──が問われているということでもあるのだろう。
子どもの頃、年末年始のテレビといえば、深夜枠を使って流される懐かしい名画だった。放送時間の関係か、大胆にカットされていたりもしたのだが、それでも映画館のない田舎の少年には、この時間がとても嬉しかった。かつて娯楽の王座を保っていた映画が、テレビジョンの登場によってその地位を脅かされ、出かけなくても茶の間に娯楽がやってくるようになった。
今、年末年始はスポーツ特番とお笑いが多数を占める。しかもどの特番も考えられないほど長時間割かれるようになっている。だが、時間が割かれれば割かれるだけ、娯楽の王座の断末魔のように思えてくるから不思議だ。
日本経済新聞社がインターネット版の新聞を有料で売り出すことになったらしい。紙媒体としては大胆な一歩。いずれは紙の新聞を止めてしまうことを前提としているのだろうか。テレビもこの不況をもろに受けているようだ。各局でいわゆる“大物司会者”が降板し、変わって“局アナ”が前面に出るようになった。目に見えるわかりやすい変化だろう。制作費が削られている現実が、今年の年末年始のテレビに如実に表れているのだろう。これが視聴者にどのように受け止められるのか、その具合によってはメディア全体に大きな揺さぶりが起こるかもしれない。
コンピュータやインターネットが一般に普及・浸透し始めたのは、今では懐かしい「Windows95」の発売あたりからだったのではないだろうか。15年を経て、社会のありように大きな変化をもたらすまでになったということだろう。「放送と通信の融合」が問題になっていたのはつい数年前の話だが、それさえも今では懐かしくすらある。
大きな変化の渦を、確かに今わたしたちは目の当たりにしている。2011年にはテレビのアナログ放送終了。かつて映画に取って代わったテレビが主役の座を降りるのかどうか。その後何が起こるのか。見当も付かないが。
年末の気ぜわしさは、いったいどこから来るのだろうと、この季節になるといつも思う。
年を越す習慣は、風土に密着したものだろう。「所変われば品変わる」よろしく、なんともバラエティに富んだ習慣があるものだと思う。まさに文化は風土から立ち上げられるのだろう。
だが、文化の母体である風土がここまで変化しつつある今、風土から切り離された文化/習慣が、なんだか滑稽に思えてくる。
わたしは買い物が好きなのだが、年末になるといろいろな食材を購入し、ため込もうとする。だが、近所にあるコンビニは大晦日でも24時間営業しているし、食品スーパーも元旦から通常どおり店を開けるところも珍しくない。もちろん品揃えは通常とは異なるわけだが、しかしかつてほど「年末だから」という理由がまかり通らなくなっている。それでも、体が反応してしまう。それが滑稽だ。金融機関を巡ることも今では家の机の上からワンクリック、有名料亭のおせちがワンクリックでお取り寄せ、初詣もネットで…なんていう時代に突入しているのに、わざわざ人混みのする気ぜわしさがかえって恋しいのだろうか。
大晦日に初めて夜更かしがゆるされたあの時、眠い目をこすりこすりして年が明けるその瞬間を待ち焦がれた。時計の針が24時を回っても、時空には何の変化もなかった。その事実が軽いショックだった。永遠に流れる時間の一瞬に過ぎないことを、幼い頭で悟った瞬間だったのかもしれない。だが一方で、何の変哲もない時間の流れの中に、やはりひとつの区切りを感じたのもまた事実だった。昨日とは違う。何がと問われてもはっきり出来ないのだが。
割り切られるものと割り切れないものが、ひとつの体の中で混在し分かちがたく存在する「生身」。来る年は少しそこにこだわりたいなと思う。
中国国家副主席と天皇の会談について様々な報道があった。「高齢で病気なのだから、公務を控える配慮が必要ではないか」という街の声があったのだが、そこで考えた。
身の回りの人が高齢で、しかも病気がちであったとすれば、「仕事を減らしたら?」と意見することは出来るし、確かにひとつの配慮だろう。本人がその意見を聞き入れるかどうかは別の問題だが。もし本人の意志に関わりなく強制的に割り振られるとすれば、それはひょっとしたら人権に関わる問題かもしれない。それでも、人には辞める自由がある。割に合わないとか、無理だということであれば、辞退するとか辞任するとか引退することが出来る。
だが、「天皇」に引退はない。生きている限り、死の瞬間まで天皇なのだ。皇太子が職務を代行することは出来るが、それはあくまで代行であり、天皇が辞退するとか辞任するとか引退することはできない。
本当に天皇のことを心配するのであれば、天皇をしてそういう不自由な状態にさせ続けることをこそまず考え直さなければならないのではないか。人間としてのあらゆる権利を剥奪した上で成り立っている「象徴」天皇という存在それ自体を、このまま認めていて良いのだろうか。もっといえば、そういう存在にさせ続けている者がどうして「配慮しろ」などと言えるのか。それはあまりにも自分を知らなさすぎて、滑稽でさえある。
「街の声」などといって、テレビは盛んに街頭で一般市民の声を拾い上げる。だが、そこで挙げられる数字が真実でないことを見落としてはならない。テレビとは「まず、結論ありき」なのだ。その結論に近づくように操作する。その操作を「編集権」などと嘯く。だが決して「これは操作されたものです」などと言わない。瞞されるのもあくまで視聴者の責任なのだ。
十分に自覚した上で、物事を考える癖をつけたいものだ。