「未受洗者が聖餐式に与ることや、補教師による聖礼典執行は自由だとする考えのもと、その実施をなす例が見られます。これは明確な教憲・教規違反です。そして教会としての生命を奪い、教職同士や教会間の信頼関係を損ねる重大な問題として放置しておくわけにはいきません。
当事者の自制を促すと共に、正しい聖礼典の執行をめぐり、措置をとっていく所存です。」
これは日本基督教団議長の「2007年度教区総会への挨拶」、10項目の中の2番目に取り上げられたものの全文である。いわゆる「聖礼典のみだれ」に対して教団として何らかの措置をとるという。
「教憲・教規に違反する行為は教会間の信頼を損ねる」というのがその根拠であるようだ。わたしとしても教憲・教規を大切にしている一人だが、わたしの「大切にする」その仕方について、「それは『大切にしている』ことにはならない」などと決めつけられるのはイヤだな、と思う。
愛の表現が「ただひとつの方法以外とってはならない」とされたら、誰もがナンセンスだと思うだろう。「信仰の表明」にそれが認められず、規則に添った表現方法が唯一であるとし、それに反する者に「措置」をとるなどと教団議長が表明すること自体、ナンセンスである。
大事なのは「大切にしている」ということを「大切にする」センスだ。その仕方がどれほど異なっていても、「大切にしている」という事実を認める意外に、共に歩むことなど出来まい。まず相手を全否定してから伝道するとでもいうのだろうか。カルトでもあるまいに。
規則は心を縛れないのだ。それが規則の限界なのだ。イエスがもたらした「解放」とは、まさにそのことだったのではないだろうか。
時折突風が吹く中、予定通り幼稚園の遠足を「こどもの国」で行った。5名の欠席はあったものの、爽やかなお天気の中みんな顔を真っ赤に日焼けさせながら楽しんで帰って来た。
この日のために教師は準備を重ねてきたが、それもさることながら、それぞれの家庭に於いても実はこの日のために隠れた準備が入念に進められていたことだろう。お弁当? おやつ? もちろんそれらもある。だがそれだけではなく、たとえば家族が参加するために、仕事の日程を調整したり、この日だけは園児に専念するために、上の子や下の子を見てもらうための手はずを整えたり…。それらはなかなか外には現れ難いものだが、実際は陰で心を砕いて整えられてきたものに違いない。
単なる行事であると見るならば、雨天のための予備日はとってある。だが、仕事の調整や子どもの見守りがそう簡単に手配できるわけはない。だからこそ、この日実行出来たことを喜びたいのだ。
10日の毎日新聞は
「うつ状態 中学生の4人に1人」という厚生労働省研究班の発表を掲載していた。サンプル数が600人ということで、この数字が実態をそのまま表しているわけではないかも知れないが、それにしてもと思わせられる。目の前で気持ちの良い緑の牧草地を駆け抜けてはしゃぐ子どもたちを、7〜8年後に待ち受ける社会がそんな事態だとしたら…。
120人ほどの小さな幼稚園がその現状に挑むことは無理かも知れないが、しかし間違いなく、この子どもたちこそがより良い未来の担い手なのだ。子どもたちに向かいあうことで、襟を正される思いがする。同時に、そのために陰でできる限り支えている家族が、安心して共に歩むことのできる幼稚園でありたいと願ったことだった。
スポーツ特待制度をめぐって高校野球が揺れている。学生野球憲章に触れる特待制度を持っていた高校は加盟全4678校のうち376校、内私学では加盟773校の内375校に及んでいたという。会見した参事が高校球児の姿を思い涙を流した場面もあったというが、いかにも高野連らしい浪花節の世界ではある。
わたし自身、科目としての保健・体育は苦手だったが、だからというわけではないけれども「健全な精神は健全な肉体に宿る」というようなセリフ、その差別性・欺瞞性にいつも吐き気を催してきた。そもそも「健全とは何か」という問いなしに「スポーツ讃歌」されても、陶酔出来るわけがない。一人の選手が育つために掛かる経費をどう捻出するのか、家計簿の算数レベルの現実問題ではないか。
「スポーツ振興くじ(いわゆるtoto)」の事実上の失敗はなぜだったのか。そういう類いのアジテートで簡単に陶酔する人たちが考え出すからこそではないのか。清廉潔白を追究する高野連の理事たちは全員が手弁当なのだろうか。完全なボランティアで事業を行ってきたとでも言うのだろうか。
専大北上高校をこの「スポーツ特待制度」を理由に除名した高野連は、今回の事態を受けて、当該校に何と説明するのだろうか。専大北上校は野球部を自主解散したのだ。「専大北上だけではないはず」と囁いたのは、この国に一体どれくらいいたことだろう。しかし当時高野連は自分たちの浪花節精神に陶酔しきっていたのだ。今さら理事がどれだけ涙を流しても、もはやだれも真に受けはしない。
掛かるものは掛かる。それを見越した上で名プレーを讚える。観客は十分それを弁えている。その舞台を「わたしが演出している」などと勘違いしているのは、ひとり高野連なのだな。
教会の庭に背の高い「ハナミズキ」が咲いている。教会と幼稚園が新しくなったその年の卒園記念樹だという。10年も経つと立派な樹になるのだなぁ、と改めて眺めた。花びら(正しくは総苞)が散り始め、庭のあちこちが白く輝いている。
ハナミズキを見ると、わたしは岩手県・盛岡時代にお世話になったコーネリア・シュレーヤー宣教師を思い出す。彼女は夫ギルバート宣教師と共に1924年に盛岡・善隣館に着任する。1969年に退任するまで、文字通り「善き隣人」として働いた。退任後も盛岡に残り1980年、夫ギルバートは83歳で召される。コーネリアはその後も精力的に活躍し、1993年に93歳で召天する。この彼女がこよなく愛したのが「ハナミズキ」だった。
晩年、彼女の自宅に招かれて昼食を共にした。若い自分を気づかって大盛りのスパゲティを作ってくれたと思いきや、彼女もしっかりほぼ半分をたいらげ、食後、楽しそうに席を立って冷蔵庫からホームサイズのアイスクリームをとり出し、これまた皿に山盛りにして美味しそうに楽しそうに食べておられた姿を今でも思い起こすことができる。「独居の90歳」を疑わせる旺盛な食欲と、茶目っ気たっぷりな人柄。讃美歌よりブルースが似合いそうな体格。でも本当に敬虔な人でもあった。
「この花は、4枚の花びらが十字架に見えるでしょう。薄く紅がさす花を見ると、十字架の主を思い起こすの」。彼女はいつもそう話していた。気がつくと街のあちこちにハナミズキを目にする。街路樹だったり、庭木だったり、すっと背が高かったり、低いかわりにたくさんの花をつけたり…。いつのまにかハナミズキはわたしにとっても思い出深い大切な樹になっていった。