先日車を運転していたら、あちこちでずいぶんと梅の花が咲いていることに気がついた。教会の周りには梅の木がないので気づかなかった──つまりわたしもずいぶんと「外出自粛」していたのだと改めて思ったりもした。
そのルート上に梅の花に混じってコブシが咲いている。今年はやはり暖かいのかも知れない。そして足利市の山火事。これらのことが頭の中で重なって、ある風景がありありと思い出されたのだった。
岩手県・遠野市に住んでいた頃、仕事のために週一度汽車(!)を使って盛岡まで出勤していた。夏場は車で通うのだが、冬場は汽車を使うことが、出勤を認めてくれた教会員の定めた唯一の条件だった。遠野駅から教会に向かって歩く道の延長線上にある城山の中腹に、春になると一際早く白い鳥が群がっているように見える大きな木があった。それがコブシ。周りは未だ緑にも染まらない中、唯一立っているコブシの木は凛として清々しかった
その通勤ルート上に、大規模な山火事が発生したことがあった。今回のように数日燃え続けたのだった。そんなことがすっかり記憶から消えたある寒い冬の日、車窓に広がる山肌に、まるで等高線のように点々と点線が見えた。最初はなんだか良くわからなかったのだが、よく考えてみるとあの大規模な山火事があった斜面に新しく植林した跡が斜面が真っ白に雪に覆われて等高線のような点線になっていたのだ。
山火事を引き起こしたのは人間だったわけだが、その被害を止め、再生へと動かすのもまた人間の業だった。等高線はその証明。それがわかった瞬間、わたしは感動していた。厳しいばかりの冬ではあるのだが、春にむかう冬の寒さには、北国人なら誰でも胸に持つ希望でもある。厳しい現実と、にもかかわらず降り注ぐ暖かい日差し。自然の力と人間の業とのせめぎ合いと調和を、そこにまざまざと見た思いがしたからだった。
「透明性」という言葉を辞書でひけばだいたいこんな答えが返ってくる。「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること。また、その度合い。」。
今回東京五輪組織委員会会長の選出にあたり繰り広げられたドタバタ劇は橋本聖子五輪担当大臣が大臣職を棄てて(後には自民党を離党して)就任を受諾したことで決着したようだ。しかしその選出を巡って「会長の選任は国民にとって透明性のあるプロセスでなければならない」との組織委員会の姿勢の下「候補者検討委員会」が設置されたのに、誰がメンバーなのか、どういう議論が行われたのかなどあらゆる事は結局非公開で進められた。繰り返しになるが「透明性」とは「制度の運営や組織の活動状況が、第三者にはっきりとわかるようになっていること」であるにも関わらず、だ。
森会長辞任とその後任が川淵氏になったと報じられた瞬間、多くの人が危機感を共有したようだ。森さんはそもそも総理大臣になるとき既に密室談合だったのだが、おそらくあの方の頭の中では、密室談合で決着することこそ最善の政治的解決方法だと信じて疑っていないのではないかと思われる。残念なのは、ただでさえコロナでオリンピックに向けた高揚ムードが消沈している現状に消防ホースで水をぶちまけるようなものだということが分からないほど、良く言えば混乱しておられたのだろう(「悪く言う」本音を綴ったらここがハラスメントな言葉のオンパレードになりそう)。その瞬間から密室談合を非難する声が驚くほど高まり川淵さんは辞退表明する。SNSが「国民の声」という力を発揮したことでもあった。
このところたてつづけにSNSの力が発揮されるようになった気がする。誰でも意思を表明できるのは極めて良いことだ。その「意思表明」を今度は選挙でも発揮しなければ、本当に世の中を変えることにはならないのだけどね。
武藤敏郎
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会事務総長
このところなかなか寄席に行けない。外出する機会もめっぽう減ってしまったのが原因だが、何せどうひいき目に見ても「寄席に出かける」事が「不要不急」以外の何ものでもないわけだし。
独演会は芸人の真髄をたっぷり見て聞いて、その人となりを味わう貴重な場所であり時間だ。それももちろん楽しみなことではある。だけど一方でいろんな芸風を持ったいろんな芸人が様々な芸を短い時間で披露する寄席という場所もなかなか面白いものだ。
だいたい芸人は「わたしの話は社会にとってちっとも有意義ではない」と平気で言う。「不要不急」そのものだと言っているようなものだ。だけどそういうものこそ実は意味があるのではなかろうか。
40年近く前、免許を取得するために自動車学校に通った。車の簡単な構造なども学ぶ。その時車のハンドルやブレーキには「あそび」と呼ばれる、余裕というかゆとりというか隙間というか(他の表現が見当たらない)があって、しかも絶対必要だと習った。下手をすればいのちに関わる自動車の運転にとって、構造上あそびがどうしても欠かせないというのはなんだかとっても哲学的な示唆があるではないか。
目に見えないウィルスに怯え続けた1年。もちろんただただ怯えていた頃からすればずいぶんとその正体も判るようになった。それでも自由が利かない状態は全く変わらない。「あそび」が重要だという説はかなり説得力ある。
一見「無駄」のように思えるもの、「無意味」に思えるもの、あるいは「邪魔」なように見えるもの。世の中にはたくさんあるし、わたし自身の中にもたっぷりある。14年ぶりの引越に向け、やったことのない片付けなんぞをしてみると、それはそれはほとんど棄てて構わないようなものだらけ。一体何をそんな後生大事に保持していたのか、我ながら呆れているのだけれど…。
こんなビワの花が… 教会建物の西側に小さな花壇スペースがある。ここは不思議な花壇で、どういうわけか時々土が崩れ去る(まさか首都高やJRがトンネルを掘っているわけではあるまい)。教会員の辻さんが園児たちのために胡頽子の鉢植えをくださった時も土の崩落が頻繁だったので、鉢のまま植え込んでいる。それでも胡頽子は元気に花を咲かせ、実をみのらせる。
7〜8年ほど前に、ビワの苗木をいただいて植えておいた。もう背丈は優に2階の手すりを超えているのだが、一向に花を咲かせない。外階段から手を伸ばしてビワをもいで食べるのを夢見てきたのだが、毎年葉芽しかつかなかったのだ。というのも防府教会で働いていた頃、そこには幼児施設があって(わたしたちが着任した1999年3月で閉園)、庭に築山と飛行機型の遊具があった。閉園後園庭を整理して築山を壊し、遊具の飛行機がついに空を飛んでビワの木の脇に動いた。我が家の子どもたちや近所の友だちがたくさん遊びに来ては飛行機の翼に登ってビワをもいだ。食べ放題。我が家の夕食後のデザートも庭に出てビワというのが風物詩でもあった。このビワは幼児施設の職員が食べて出たタネを植えた(棄てた?)もの。とても美味だった。
2021年の今年、ついに川崎教会のビワの木にたくさん花が咲いた。梅雨が開けて初夏を迎える頃には美味しい実をみのらせるのではないかと期待がわく。尤もその頃わたしたちはもう川崎にはいないのだけれど。
こんなに美味しそうな実になる日も近い この場所、夏にはゴーヤーを植えている。土と相性が良いのかとても良くみのる。また、大葉(青しそ)も時々移植するが、秋の終わり頃まで勢い良く葉を茂らせる。これも相性が良いのに違いない。
たぶん、人も土との相性が大切なのだろう。もちろん人は知恵ある生きものだから、相性を知恵で獲得も出来るに違いない。そうやって許される限りそこに根を張る。そんな生き方をこれからもしたいものだと思った。