我が家の子どもたちが皆帰ってきて、年末年始は6人+2匹の賑やかな時間を迎えた。川崎で過ごす最後の年末年始でもあり、子どもたちも自分の生活に区切りをつけ、残した荷物などを処分する必要もあった。
コロナ禍で迎える初めての年越し。街中到る所でこれまでとは違った過ごし方をしなければならない。なんだか不思議な感覚だ。
お向かいの浄土宗教安寺。檀家さんやご近所さんが集まって除夜の鐘をつくのが恒例。だが今年はコロナのために一般の鐘つきは無くなった。代わりにご住職が「数回」鳴らすという。聞こえたのは3回だった。みんなの煩悩がずいぶん少なくなったようだ。ラ・チッタでは新年と共に何か鳴り物があったが、今年はそれもない。新春福袋が人気の珈琲チェーンなども、今年はネット応募の抽選になったし、長い行列が毎年の風物詩だったヨドバシカメラの新春初売りも店頭販売は中止になった。我が家の犬たちの元日初散歩で見るチッタの通りも、日常とそれほど変わらなかった。普段ならたくさんの福袋を抱えている人たちが多く見受けられたが、そうでもなかったのはひょっとして元日休業が少し増えたからかも知れない。
川崎・鶴見地区も、地区委員が何度も協議を重ねた上で元日恒例の「地区新年礼拝」を今年は取り止めた。例年80〜100人程度が集まった礼拝だ。
14年間一度も出かけたことはないが三が日で川崎と言えば毎年全国第二位の参拝者を記録する川崎大師。ホームページを見る限りマスク・消毒以外特別な記述はなく、例年通り参拝者を迎える模様。一瞥して例年と変わらない越年の様子が元日のテレビで流れていた。ひょっとしたら違わなかったのはここだけだったのかも知れない。
そんなこんなで大晦日の深夜、我が家では「なんだか年越しという感じがしないねぇ」との声。そういうことなんだな、と改めて。
クリスマス礼拝もクリスマスイヴ礼拝も特別なことを一切やらずに礼拝のみに集中したおかげ(?)で、普段とは違って時間と精神に少しだけ余裕の出来た今年のクリスマスだった。その余裕の時間を使って、巷のクリスマスを少しだけのぞき見してみることが出来たのだった。
驚いたのは、食料品を扱うお店──レストラン(テイクアウトを含む)やスーパーマーケット、コンビニストア──のほとんどで、「チキン」のメニューが山盛りになっていたこと。
ちょっと前までは、クリスマスと言えばケーキのお店が臨時で出店されていたことしか印象がない。だが今年、それ以上に驚いたのが大量のチキンだった。フライドチキンやローストチキンは言うに及ばず、唐揚げや焼き鳥に至るまで、あらゆる「チキン料理」がいつもの倍〜3倍ほど積み上げられている。コンビニのレジ横にもたくさんのチキンが並ぶ。チキンを喰わなかったらクリスマスじゃないかのごとき。
1970年、大阪にケンタッキーフライドチキンの実験店がオープンする。10年ほど後には「クリスマスにフライドチキン」が定着し始めたと言われている。そのイメージは確かにあった。あの店にとってはクリスマスでチキンは当然欠かせないのだろうな、ぐらいの認識だった。だが、40年かけて「クリスマスにはチキン」がここまで過熱してきたということに驚いて認識を新たにしたのだった。
シュトーレンというケーキは産着のイメージだと聞いたことがある。それを少しずつスライスして味の変化を楽しむらしい。「赤ん坊を喰うのかぁ」などと興の冷めるようなことを言うモンじゃない。そもそも十字架の死後墓に収められる姿の先取りでもあるのだ。してみれば、クリスマスに受難する数多の鶏たちもまた、わたしの食材モトイ贖罪なのかも知れぬ。アーメン。
政府は2030年代半ばをめどに国内でのガソリン車の新車販売をなくす目標を掲げた。50年に温室効果ガス排出量の実質ゼロをぶち上げたことから、それを達成するためには電気自動車の普及を進めなければならないということらしい。東京都は30年までに、二輪車は35年までにと、国より更に5年ほど前倒しする目標を掲げたようだ。英国/中国/米カリフォルニアが同じように30〜35年ころまでという目標を設定していることも影響ありかな?
ガソリンやディーゼル車は排出ガスがあるが、電気自動車には排出ガスはないということなのだろうか。確かに、走行中はね。だけど、電気自動車を走らせるその「電気」はどうやってつくられるのだろう。
「第5次エネルギー基本計画」によれば2030年目標は、液化天然ガス火力が約27%、石炭火力が約26%、再生可能エネルギーが22%から24%、原子力が20%から22%、石油火力が約3%。ざっと「火力」が56%というわけだ。
つまり、走行中温暖化ガスを排出しない車を走らせるために、温暖化ガスを排出する発電で電気をつくるという、ヘンな話しになっちゃうんだけど。そもそも電気自動車をつくる段階でも排出ガスが大量に発生するのだし。
トヨタ自動車の社長が「国のエネルギー政策の大変革なしに達成は難しい」「このままでは日本で車をつくれなくなる」と
発言し、政府発表当初とは反応を変えてきたのが気になる。彼の言う「エネルギー政策の大変革」とは何を指すのか。コロナへの対応ぶりから類推して今の政府の考えそうな「大変革」は、「発電中にCO2を出さない」原子力発電の割合を高めるしかなさそう。
「走行中はCO2を出さない」車のために「発電中にCO2を出さない」原子力発電を増やして、最終的には地球のお荷物となる超大量の「核廃棄物」を生み出す構造のどこが先進的取り組みなのだろう。
ここでもわたしたちの行動変容が求められている気がするなぁ。
教会の一本表通りは「ラ・チッタ・デッラ」という映画館を中心とした商業施設であることは何度か書いた。そして今年クリスマスの装飾がおとなしめであることも。
そう思う大きな要因はチッタの中心にそびえるガラスのタワー。いつもならこのタワー全体が季節感あふれる電飾で演出されるのだけれど、今年クリスマスに特別な電飾は施されていない。通りの木々や建物を横断する電飾はあるものの、それ以外にクリスマスを感じさせるものはない。唯一、地下1階にあるパチンコ屋さんに降りるエスカレーター脇のスピーカーから、場にそぐわない音量でクリスマスソングが流されているぐらい(>_<)
教会はいつものようにクリスマスの準備が進められている。配布する印刷物やスライドショーの作成など毎年毎年のルーティンが始まって、先週あたりからクリスマスに関わる様々な下準備に振り回されている。同じようなことを今年も繰り返しながら、しかしこの12月13日の週報に次週20日の予告を書くところで、心が痛んだ。それは「礼拝後の予定」欄が原因。おそらく牧師として仕事を続けてきた中で、今人生初の言葉をそこに書いた。「礼拝後の予定:特になし」。
クリスマス礼拝の後に特段の予定がないことなど、これまで経験したことがなかった。イヤむしろ「教会はクリスマスだからっていろいろとやり過ぎなんじゃない、もっとシンプルに、原初のクリスマスを思い起こすような」みたいなことを考えてきた方だ。だけど、「礼拝後の予定:特になし」と記すことがこんなに痛ましいことだったとは、我ながらちょっと驚いてもいる。
これまでやれていたこと出来ていたことが出来なくなるというのは、どう理論付けてもやはりマイナス思考に陥るものだ。であればこそ、出来ない今を基準に物事を積み上げることにシフトする。人事異動の一つの意味かも。
2019年のクリスマスはこんなに華やかだったラ・チッタ・デッラ